大堀相馬焼とは
大堀相馬焼(おおぼりそうまやき)とは、福島県浜よりの浪江町で作らている陶器です。
相馬中村藩士の半谷休閑(はんがいきゅうかん)が、当時の浪江町大堀で陶土(陶器の材料になる粘土)を発見したことをきっかけに日用雑器を焼きはじたのが始まりと言われています。
発祥地
福島県浜通り北部に位置する双葉郡浪江町(以下浪江町)です。
請戸川、高瀬川の2つの川が存在しており、水と山林に囲まれた素晴らしい土地です。
ここ浪江町では有名な大堀相馬焼を始め、ご土地グルメでもある「浪江焼きそば」が有名です。
太平洋側に属している浪江町は、東北地方でありながら雪が少なく温暖な気候に恵まれた土地です。
また、二本松市・浪江町・葛尾村・田村市・川俣町を結ぶ日山(天王山)の山頂から見える360度パノラマは「富士山が見える北限の山」として有名でした。
(2001年以降は麗山(羽山)にその座を明け渡している)
自然に囲まれた素晴らしい土地でしたが、2011年の「東日本大震災」の津波によって甚大な被害を受け、原子力発電所の放射能汚染によって多くの住民が移動を余儀なくされました。
2019年3月に全域避難指示は解除されたものの、2020年2月の時点で「帰還困難地域」が町内の大半を占めており、町内の住居人数は大幅に減少しています。
大堀相馬焼の特徴
1つ目は「青ヒビ」でです。
鉄分を含んだ釉薬を使い、還元炎焼成後に冷却することによってヒビが生じます。
そのヒビの上から墨を塗りこむため、特徴的なヒビが完成します。
2つ目は「走り駒」です。
大堀相馬焼の特徴とも言える馬の絵のことで、これが無ければ大堀相馬焼とは言えないというくらいスタンダードな特徴です。
3つ目は「二重焼き」です。
内側と外側を焼く前にはめ込む事で二重構造を作り出しています。
この手法によって、熱いお茶を入れて湯呑みを持っても手が熱くならず、冷めにくいというメリットが生まれます。
大堀相馬焼の歴史
当時、相馬中村藩が、「瀬戸物師、他領江不可出事」を布令し、大堀相馬焼を藩の特産物にしようと焼き物作りを保護、育成したため、江戸時代末期までには100軒近い窯元が誕生し、農作との兼業まで見られました。
東北一の名産地として君臨していたが明治時代になると、廃藩に伴い藩の援助がなくなり、仕事をやめる生産者も相次いだことから窯元数は少なくなりました。
こうした時代背景に順応し、生き残るために、窯元達は知恵を絞り合い、「青ひび」「二重焼」という大堀相馬焼最大の特徴を生み出して行きました。
そうした窯元達の努力もあり、衰退していた大堀相馬焼は第二次世界大戦後から大きく再興を果たしました。
その後、大堀相馬焼はその功績が認められ、 1978年に国の伝統的工芸品に指定されました。